♡航星日誌♡

・・・to boldly go where no one has gone before.

20200725-26/神社/緑の男性/翼

20200725

昨日行った神社の下の階層。神社の裏にどこまでも道が続いている。


実際の神社の裏は山。
下の階層というのはなんのことかわからないです。

ーー

20200726

①緑色っぽい男性。わたしはうしろから優しく絡まりつく。「ごめんね。許して。」わたしはずっと抱きしめ続けている。なぜならその存在は寂しさの塊だったから。彼は茶色と緑色の粒のようなお菓子を私に渡す。

②バスの座席に座っている。右側に男性。男性が彼のトレーナーをわたしにかけてくれる。別の女性にもトレーナーをかけてあげている。その女性はなにかの件で彼に捲し立てながらひどく怒っている。男性はただ黙って聞いている。わたしは男性の首に両手を回して首にキスしている。「あなたの優しさはわたしが十分知っている」と耳打ちしている。温かい。



全体的に愛愛愛。とても穏やか。温かい。


ーー

20200723

②「シンプルなからだになった。本質的な状態になった。」羽をもらう。それをつけてから写真撮影をするらしい。となりの人は羽をつけて写真を撮っている。わたしは「シンプルになったのにどうしてまた何か足さないといけないのかな?」と考えている。


翼:

プラトンの対話篇「パイドロス」によると「羽でできた翼は、重きものを舞い上がらせ、神々の一族の住む高みへと運ぶ。それは、本来神々の身体に宿る性質を十分にわかちもっている」

/図説世界シンボル事典、八坂書房

翼:

(象徴)
翼は何よりもまず飛翔の象徴である。すなわち、身軽になること、非物質(それが魂だろうと霊であろうと)微細身への移行の象徴である。極東の伝承、東西のシャーマン的伝承、および西洋のイスラム教だろうと、ユダヤキリスト教の伝承だろうと、このテーマに関しては違いがない。なぜなら魂とシャーマンの飛翔は2つとも同じ冒険だからである。どちらの飛翔も地上の重力からの解放を前提とする。そのことは錬金術の技法ではライオンを食べるワシのイメージで表現された。(略)

(道教・仙人)
飛翔の能力とその軽やかさは、道教の仙人固有の性質で彼らは飛んで(不死の島)三神山に到達できる。彼らを示す漢字の構成要素そのものが、大気の中を上昇する能力を示す。独特の食養生によって、身体からうぶ毛または羽が生える。生活習慣が鳥に似ることもある。

魂が個人を超越した状態を熱望した場合、飛翔はその普遍的な象徴となる。飛翔つまり「身体からの離脱」は「頭頂」から行われる。これはドームの項で検討される一つの象徴的意味によるのである。同じように道教は「微細身」の飛翔を目指す。これは仙人の胚胞にほかならない。

(インド・理解力)
(略)。リグヴェーダによれば「知性は最も早い鳥」である。だから天使は現実の天使だろうが霊的状態の象徴だろうが翼をもつのである。(略)

(キリスト教・霊)
キリスト教の伝統では翼は空中の軽やかな運動を意味しプネウマ、つまり霊を象徴する。聖書において翼はつねに生物の霊性もしくは霊化の象徴である。この生物が人間の顔を持とうが動物の形をしていようが同じことだ。翼は神性および変容の後に神性にちかづきうるすべてのものにかかわる。たとえば天使や人間の魂だ。(略)。魂に翼が生えてくるにつれて上に昇ることができ、近づいていく天は底なしの深淵に例えられる。魂はどこまでも上昇できる。なぜなら天の絶頂に到達できるわけがないからだ。(略)

したがって一般には翼は崇高への上昇、人間の条件を超えるための跳躍を意味する。神格化された生物が天界へ到達したことを示す最も特徴的な属性なのである。特定の表象に翼がつくと、その象徴が変わってしまう。たとえばヘビは精神の堕落のしるしであるが、翼があれば霊化や神性の象徴となる。

/世界シンボル大事典、大修館書店




そのようなわけですから夢の私様わかったらおとなしく羽をつけて写真撮影に望んでくださいませ♡