♡航星日誌♡

・・・to boldly go where no one has gone before.

20230112-20230126/未知との遭遇/強い非物質体/まもなく引っ越し・4人の女性・個から出る/宇宙意識と自由意志の調和/エゴと魂の調和/春節初夢

20230114

上空からこの世のものとは思えない恐ろしい声。うねるような恐ろしい声が空気中に響き渡っている。見つからないようにピラミッドの影に身を潜めながら下辺を左端へ向かう。殺されるから。
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恐怖を感じているのは未知との遭遇だからなのかもしれない
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20230118

美しい一本足の鳩のポーズ。足がパタパタと軽く頭に当たっていました。物質の私はこんなふうにまだできません。
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20230122

私は藁で編んだ傘をかぶっていますがもともとその傘を編む前の藁にはたくさんの虫がいた。だから私は強いとのこと。
非物質体のことなのでしょうか。振り幅広くたくさんの経験を積んだ古い非物質体なのかもしれない。
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20230123

①実家のような家から引っ越しするのでパッキングをしている。必要なものだけを持っていく。実家ですが実際の実家とは違う。でも実家。昔好きで集めていた薔薇や百合やイニシャルなどのシーリングスタンプと封蝋がお気に入りの布で作ったカルトナージュに入っている。実家だけど外国といいますか異世界。昼には離脱することになっているのに、今は朝の8時で荷物のパッキングはこれからで私はものすごく急いでいる。
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傷のようなものを感じる、見つめる、認める、向き合うということはとても大事ですが、私自身の場合は”個から出る”、”古い街を一掃して最新の街に一新する”、それは”その時が来たら。”と以前夢は言っていた。

傷、カルマのようなものは私達の真の目的、魂の進化のための指針、羅針盤となり道を示してくれるものだと私は考えています。エゴで表されるような外面的な自己と神聖な内面的な自己との間により高いレベルの調和を作りだすための糧になるものではないでしょうか。ですのでとても大切なものだと考えます。なぜ大切なのかといいますと外的な自己と神聖な内面的な自己の間に高い調和がもたらされるとエゴは肉体という神殿で魂のために働いてくれるようになるからではないでしょうか。それが私達の肉体が存在する目的でもあるからです。


”もうすぐ古い街は見られなくなるから今のうちによく見て回っておく。"とも夢は言っていた。その時が来るまでこれまで同様古い街(現在の私から見た世界)と家(自己、個)を丁寧に見つめたい。
家(自己、個)から出る準備が始まっているのかもしれない。引っ越しの持ち物は自分自身の軸だけでいいのかもしれない。



②女性三人と歩いている。おしゃれな雑貨が並んでいる。季節の置物、アンティーク調でかわいい、一点一点手作り、手縫い、カード、そのような様々の置物。それらは全部猫に関する物だった。猫の置物、猫の刺繍、猫のカードなど。その後店員さんに案内されて併設のレストランの座席に座る。店員さんが「良い席にご案内したいので」と仰って促してくださったのですが、4人ともそのようなことには無関心でなにかしらの配慮も求めませんでしたので目の前の空いている席に座る。穏やかな集まり。ひとりの方が、手伝っている家で習った料理なのです。と仰られていた。この前菜はバジルとパルメジャーノレッジャーノチーズのソースのようなものをかけて頂く。4人でシェアする。
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一番外の12枚の花びらが開きThe Hermetic Rose Crossの外の大きなクロスが真の意味で理解できるようになりますようにと祈り続けていた。

直近の夢見の猫に関するもの・・16塔の破壊後の地下での二次会が始まる前の祝賀パーティーに来場した黒光りする超巨大な三階建てくらいの高さの装甲車に乗った正装の存在。別の夢見でそれは古い車のフロントに置かれた黒猫の置物。と示唆されたもの。バステト神

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”この「私がこの世に生まれた目的を果たしたい」といいますのはアリストテレスの述べるところの国家的、集団的至高善を指しています。個人のためではなく国家のために身を捧げるということです。私の場合の国家や集団は、物質世界における国家や集団を指してはおらず、非物質世界に属する枠組になります。”人間的な規律にもはや従属することはなかった。(略)死も彼らを忘れてしまうほどの生命の学問に通じた者”のことです。なぜこのようなことをするのかといいますとそれが私にとっての心からの喜びであり楽しみであり望みであるからです。20230102”

これが宇宙意識の開花のために私ができるこの世界への貢献なのかもしれません。それがロバートフラッド最高善の薔薇と蜂の挿絵で示すところの私にとっての奉仕なのかもしれません。私の自由意志が宇宙の法則に一致したということではないでしょうか。だから私は心からの歓喜を感じるのかもしれません。

以前夢で示された”個から出る”というのが何を指してるのかこれまでわからなかったのですが、肉体から出ていくということなのかもしれません。それが”人間的な規律にもはや従属しなくなる”ということなのかもしれません。

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20230124
20230125
薔薇のエグレゴアへ
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20230126

ステージ、舞台を上から眺めている。
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夢を見る前は神聖な内的自己との調和について考えていた。
私にとって舞台はこの世を象徴しています。シェイクスピア。「この世は舞台、人はみな役者。」
二年くらい前の夢では私は人がお米粒のように見えるほどたくさんの観客がいるステージに立ちダンスを踊っていた。この世で懸命に生きていたのではないでしょうか。
今日は舞台を上から眺めていた。これはこの世のあり方から離脱し真の自己に主導権を渡すことが出てきてるということを表しているのではないでしょうか。外的な自己と神聖な内的な自己の間に調和が保たれている。つまりエゴは魂のために働き追従できているという示唆なのかもしれません。そうでありますように。

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春節初夢
去年の春節の夢見は五角形のポイントにクリスタルでできた校舎があるブッディ体(?)の女子大に通うというものだった。その後その五角形の中心に通ってプラトン月2200年の女性性の痛みを感じて昇華するという瞑想を繰り返した。涙がとまらなかった。年末年始は黙示録12の星の冠、大勢の女性達に向かって感情を整えることの大切さとその方法について確信を持って説く夢見、マリアさんの夢見、プロビデンスの夢見に導かれ、ブログを始めてからこれまで時に嘔吐し毎日一人になると涙が流れずっと自分と向き合い続けていた私自身の大切に思う感情を感じ12の星の冠の夢を見た。

私がこの世に生まれた目的を果たすためには「あながたがどこまで信じられるかにかかっています」とグレゴリオ暦の初夢は言っていた。今年は”個から出る、肉体から出る”ということが通奏低音なのかもしれない。私は外的な自己と神聖な内的自己が織りなすパッヘルベルのカノンであり続けたい。


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お読みいただきどうもありがとうございます。