記録の練習がてら7/1の浴室の夢の追加メモ
清潔クリア
浴室の手前側にバスタブ
胎児の姿勢の水死体の私はペルソナ向き
頭は左側
浴室に向かってくる私は右から
右側の扉は空いている
それらを上から見ている
上から見ている私の感想は何もなくてただ見ていただけ
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水仙って水にいる仙人という中国語が語源なんですって。水辺にいる仙人の美しい様子のような花だと。ワーズワースの詩、水仙が素敵だなと思っていたのですがまた予想外の隙間から差し込まれてくるのは面白いな
中国古典「天隐子神解章」
「在人谓之人仙,在天曰天仙,在地曰地仙,在水曰水仙,能通变化之曰神仙。故神仙之道有五,其渐学之门则一焉」
ほかはなんとなくわかりますが其渐学之门则一焉の意味がわかりません。
英語の水仙Narcissusはギリシャ神話のナルキッソスが由来なんだそうで
愛/自己愛/ナルシスト
ネットでの水仙情報はこのくらい。象徴辞典はさらにおもしろいです。下記
語源
スイセンnarcisseの語源はnarkeである。ここから麻酔narcoseという語が生ずる。スイセンが地獄信仰やエレウシスでのデメテル礼拝による通過儀礼とつながりのあることを示している
象徴
スイセンは墓地に植えられることがある。死によって活動が停止することの象徴である。この場合おそらく死は一時的な眠りでしかないだろう。
ローマ
死ー眠りー再生
アジア
幸福/新年の祝詞
聖書
・ユリのように春と終末の時を表す
・ナルキッソスからの道徳的解釈→虚栄心、自己中心主義、愛、自己満足
フランス
ナルキッソス神話の水は鏡。鏡は自分の最深部に向けられた鏡である。鏡に映った自己の姿は理想化への傾向を示す。
「自分の姿の映っている水を前にして、ナルキッソスは美しさが続くこと、それがまだ完成されていないこと、完成させなければならないことを感じとる。部屋の中の明るい光の中の鏡は、あまりにも安定した姿をしている。したがって、自然に流れる水の鏡となると生き生きとし自然となる。想像力は蘇り、泉や川の特質を吸収していく」「古典的な精神分析の方がこの理想化の役割を過小評価するので、それだけ余計にこれを強調する必要がある。実際、自己愛は常に病的とは限らないし、美術作品の中では積極的な役割をしている。浄化はいつも欲望の否定ではない。本能に反抗した形であらわれるとは限らない。理想に向けての昇華というものがある。」
「(略)ナルキッソスはもうひとりではなくて、宇宙も、彼と共に反映され、彼を逆に包み、宇宙は彼の魂により活気づく。「世界は自らのことを考え始めた巨大なナルキッソスである。」
「泉という水晶の中では、一つの身振りが像を乱す。静かさがあって初めて、再び像が戻る。映し出された世界は静寂が獲得させるものである」
ギリシャ神話
ハデス、ペルセポネ、スイセンの芳香(略してます)
アラブ
ギリシャ神話の解釈とは無縁
立った人間、熱心な従僕、神に使える信心深い人の象徴
多くの詩句の中でスイセンが暗喩として展開される
/スイセン:世界シンボル大辞典、大修館書店
>>浄化はいつも欲望の否定ではない。本能に反抗した形であらわれるとは限らない。理想に向けての昇華というものがある。
なんて端的な表現だろう。感動してしまいました。これは心の底からそう思う。わたしにとっての浄化っていつもそう、受け止めて昇華というのがしっくりきます。「人は穢れを持っている。だから浄化しなければならない。」みたいな発想がわたしはいまいちしっくりこなくてそれがなぜなのかわかりませんでした。しっくりこなくても大丈夫だったんだということがわかってよかったです。
※
眠り/死/復活/聖母マリア
「群仙祝寿」/八仙/長寿
(略してます)
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先日バイノーラルをした後お迎えに行ったら服を裏表逆に着ていました。気がついたのは幼稚園から撤退した後になって子から指摘されて。さすがに自分で自分にびっくりしました。
先日のお茶とスポーツドリンクのミックス水筒よりはいっか。。
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未開封だったひっこしの荷物からでてきた夢舎の最初のノートを開いた。一回目のページを見たら、あのときのどきどきをまるごと思い出しました。本を通して私を救ってくれた正真正銘ほんものの某先生とその先生と旅しているほんとすごいひとたち。新世界。ときめきと感動の胸の高鳴り、そこに緊張もミックスされたどきどきの塊だったな。ほんと素敵な時間だったな
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夏至の夢見の影響力がものすごく強くて新規夢見にまだ意識を向けられません
夢見もまた停滞中です。
7/1以降の夢。おとといくらいにいち度。
夢の私「わたしはなにか大事な夢をみたから。そのことだけは覚えておいて。」
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