♡航星日誌♡

・・・to boldly go where no one has gone before.

20230524-20230607/南十字星の賛美歌/裏山はもう裏山じゃない/オオカミになる/薔薇のバス・散策・空中列車・片道切符・貝殻の腕輪/神主、巫女の勉強会/筒を下る/獣を投げ飛ばす/Rのマスター

お読みくださりどうもありがとうございます。
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20230524
20230525
20230526
夢(目覚め始めたとき)
私はジングルベルを歌っている
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目覚めた後、松村先生の「精神宇宙探索記」を開くとそこにありました。
宮沢賢治銀河鉄道の夜では、鉄道を下車する最初の場所は南十字である。そのあたりで『神への階段』という賛美歌がどこからともなく聞こえてくる。『神への階段』とはヤコブの梯子のことで、それはより上位の次元に移動する梯子なのだ。」

昨日は20230523の南十字の夢見を受けて、ヤコブの梯子について聖書などを読んでいました。私は賛美歌は歌えないので代わりにジングルベルで案内してくれたのでしょうか。

そうでありますように。

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20230527
声「圧倒的でありましょう。」(20230510)について

自分自身に対して圧倒的でありましょう、圧倒的にひたむきでありましょうということを述べているのではないでしょうか。「自分に対する圧倒的な一途さ」を述べているのではないでしょうか。

前回の投稿の最後には「消化不良で定まらない。」と私は雑感を述べていました。
夢見と瞬発的解釈に対して気後れして遠慮した部分があったのかもしれません。
加えて最近は物質世界に深く関わり合うことが必要な出来事が重なり、私は社会から乖離しすぎていることを実感するとともに小社会やコミュニティの暗黙の共通認識や集合無意識のようなものに圧倒され疲弊し、わけがわからなくなっていました。

「圧倒的でありましょう。」

圧倒的に自分に対してひたむきで一途であること。そうすれば上のような状況を超えて全方向に開いていくことができるという示唆ではないでしょうか。
「自分」というのは魂の躍動とともに非物質世界を志している私です。新年の「私は私がこの世に生まれた目的を果たしたいので導いて欲しい」という意図の夢見では「あなたがどこまで信じられるかにかかっています」という返信でした。自分自身に対して圧倒的であることは、この自分を信じる力をどこまでも押し広げていくことに通じるのかもしれません。
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20230528
昨日は圧倒的であることについて、と南十字について考えていました。
夢①
裏山はもう裏山じゃない
裏山の向こう側にいるから
だから裏山が表の山
上から地図を見ている。今は山の反対側にいるから。海側、海岸のほう。
山の左側の海上をまっすぐ上に伸る道がある。

夢②
雪との境がわからないくらい雪のように白い狼がいた。目が合った。
わたしはおおかみになって雪の上をものすごい勢いで走り回った。地面が近い。どんどんどんどん走り続ける。ぐるぐるぐるぐる雪の上を走り回る。雪を蹴ってものすごい速さで走る。四肢を猛烈に動かす感覚、呼吸する感覚。

話しかけられる。

女性の声「(あちらのオオカミ〈私と目があった白いオオカミ〉も走らせましょう。)」

オオカミ私「(どうしてそんな勝手なことをするんだ。あのオオカミは今走らせる必要はないのに。)」

私は駆け回っていたのを、ドアを締めて閉じこもる。透明なドア。勝手に意味がわからないことをすることに怯えて警戒すると同時に威嚇して唸り声を上げている。
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20230529
20230530
夢:見たけれど記憶できませんでした
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裏山はもう裏山じゃない
裏山の向こう側にいるから(20230528)

私は大丈夫なのかもしれません。超えることができつつあるのかもしれません。この世のステージを降りて次のステージへ向かうことができつつあるのかもしれません。川の前の崖に落ちていたお人形の首を拾ってーーー小さな箱社会のルールに従わなかったために村八分にされる恐怖、自身が思う正当を貫いたために魔女狩りにあい命を奪われるような社会の理不尽さに対する恐怖、互いを貴び敬い尊重することができない未熟な社会の意味のわからなさに対する底知れぬ恐怖心のようなもの。これらを受けとめ昇華して川を越えることができつつあるのかもしれません。

そうでありますように。
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20230531
夢:見たけれど記憶できず
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20230601
夢①
薔薇のバスに乗っている。到着し皆下車する。私は一人で歩いて散策する。

下って谷底の村のようなところにいる。八方塞がりの谷底だった。すり鉢の底のようだった。全方向に通路がない。行き止まり。エネルギーの通り道もない。ずれていていびつだった。せき止められている空間。

私「(ここは早く抜けたほうがいい)」

すぐ右に古い家がある。

側溝のような一段低い位置、すり鉢の底からその家の玄関前の通路に上がる。制服のスカートの肩紐の金具が引っかかった。取るのに手間取っていた。その古い民家の中には存在がいて私を察知している。私の様子を見えないところから伺っている。

私「(妖怪よりも人間寄り)」

左側、つまり家の真正面には山があり斜面に真っ直ぐ頂上まで階段が続いている。真ん中に通っている手すりは錆びついている。私はその階段をのぼる。

出た先は多くの存在がいた。観光地だった。薔薇の方々が私がいなくなったことを心配することを私はとても気にかけている。

私「(もう出発かもしれないのに私がいないから困るかもしれない。ひとつ谷を超えて、薔薇の方々がいる山と反対側の別の隣の山にきてしまったから私は見つからない。また歩いて戻るととても時間がかかるから、ここまで迎えに来てもらおう。)」

周りを見渡すと少し離れたところに温泉宿の名前が見えた。この宿の名前を伝えてここまで迎えに来てもらおうか。私はここの観光には関心がないようだった。



私はキャリーケースを持って夜行列車の最後尾に乗った。深いブラウンの木製の内装がとても素敵だった。素敵なホテルのようだった。列車の中だとは思えないアンティーク調の大きなベッドで暗闇のなか灯された明かりでカバーは真紅色に見えた。金色の刺繍が施してあった。私はそこに腰掛けた。他に何名か乗り込んできた。

到着したので降りた。乗り換えの駅のようだった。ここからは霧の中を走る列車。もやだらけの中を走る。空中を走る。ホームはここから半階くらい高い位置にある。

チケット係の方がいる気配を感じます。

係の方「(あなた、そこにいるならさっさとチケット買うのよ。)」

私がここで次の列車に乗り換えるのか乗り換えないのか、私の意思はお構いなしの様子なのが旅先の異国のようで嬉しかった。心がときめきます。

係の方「(ここにいるからチケットを買う。買うからここにいる。)」

私「(そっか。)」

往復チケットと片道チケットがあった。私は片道を買う。ここには戻らないから。
はじめて見る発券機でなかなか要領がわからなくて少し戸惑いました。後ろに別の方が待っていらっしゃいました。

構内に入った。とても広い待合室のような休憩所のようなスペースがある。案内所のようなところがあったり、ソファがあったり。私は一番奥の人がいないソファに座った。いなくなった私のことを心配した薔薇の方から連絡があるかもしれないから携帯を気にしている。

若い女性から話しかけられる。夢の私は彼女と同じくらいの年齢だった。私達はふたりとも目の前にバッグインバッグといいますか、Lサイズのジップロックに白い巾着袋やいろんな大きさの白いポーチを入れていていた。ひとつだけ桃色だった。互いのものは布の質感や使う糸や縫い方が異なっていてそれで個性が表現されていた。

女性「おなじですね。どれもすてきなものですね。(^-^) 」

私「(^-^)そうですか。ありがとうございます。ほんと同じですね(^-^)」

その方のお母さまが来た。

女性のお母さん「あなたいい名前ね。」

巾着袋に漢字で書いていた私の本名の下の名前を見てそのようにおっしゃいます。私の名前はよくある普通の名前なのですが漢字がほんの少しだけ変わっていてそれを褒めてくださったようでした。

私「ありがとうございます(^-^)」

女性のお母さん「それ本物でしょう?貝のブレスレット。とても素敵ね」

左腕を見ると私はブレスレットをしていた。貝の光沢、年輪のようなものが見える。これはとても貴重なものでした。象牙を2−3ミリにスライスしたような質感の細長いチップのような貝が繋げられている。大きな貝から切り出したものだなぁ。。。と私はまじまじと眺めている。石のビーズのようなものも編み込まれていて装飾が施されている。

私「ありがとうございます(^-^)。(なんとなくぱっと見ただけなのによくわかるなぁ。。。すごいです。。。)」

薔薇の方が心配して携帯に連絡をくださっていないか確認している。同時にここは遠く離れすぎた違う世界だから携帯はつながらないことを理解し始めている。

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真の自己の現れが許され、それまで真の自己を守っていた過去の私、過去の宝石箱を「(これ、頂いていくわ)」と回収してくださったどこかの恒星の受付の存在もとても軽やかだった。同じようにこのチケット係の方もノイズがなくて心地よかった。

ジップロック:薔薇の方が私の心臓をもって血を拭いながら幼稚園のときのタオルがあるでしょう。と仰っていたときもその幼稚園のタオルはジップロックに入っていました。私にとってジップロックはなにか大切なものが保存されていることの象徴なのかもしれません。
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夢②
10〜15人くらいの巫女さんたちが輪になっておしゃべりしたり、楽しく笑ったりしている。頭に飾りがついている。繊細な金色の頭飾り。その横を私は歩いている。

どこからか声「これから神主さんの講座(神主や巫女一同のお勉強会、内々のもの。)があります」

たくさん椅子が並べられている末席に私は座ります。胸元が見えた。私も白衣を着ている。
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お昼うとうとしたときの一瞬の夢
座っている黒いシュッとした犬の背中にこんもりサンドベージュ色の砂がかけられている。
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アヌビス
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20230602
夢 記憶できず
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20230603
朝ぼーっとしているとき。
ジョバンニ。私の下の名前の漢字を素敵な名前ねと褒めて下さいましたが、あの駅の待合室にいた私はジョバンニであることを表しているのでしょうか。(20230601の夢)
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20230604

何かのグループとそのボスがいる。
私はなめらかな木製のような筒の穴に入る。大きな木の芯をくり抜いてヤスリをかけたような質感の筒。真っ直ぐな筒。どんどんどんどん下へ。
筒は地面から少し浮いていて、筒の最後と地面の間に隙間がある。私は寝転がったのか、アメーバのようになったのかわかりませんが、地面に伏せたような感じになって筒から空間に出る。

広い和風の部屋が広がっている。走り抜ける。
床も壁も木製だった。私はどんどん走って奥へ進んでいく。右側の繊細な格子戸の向こう側の大きな机に母が座っていて何かを書いるようだった。母でしたが、物質世界の母とは雰囲気が異なり、別の存在のようでしたが私は母だと認識していた。格子戸で姿は見えなかった。

母「(あら、来たのね。)」

書き物をしながら彼女は私に声をかける。彼女はとても落ち着いていて安定した存在だったので私は安心した。やっと母に会えたような気がした。私は足を止めず更にどんどん奥へ走り続けている。

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メモ
木製の筒からは竹取物語や「黄金りゅうと天女」が想起されます。
筒に入る前の、「グループやそこのボス」という部分の記憶が残りませんでした。
とにかく走り続けていたのが印象的です。
先日の神主と巫女の勉強会の夢の続きなのか。わかりません。
以前天女の儀式の夢見のとき、儀式をしてくれたおねえさん巫女さんも、現れた私に向かって「あら、あなたなのね*^−^* 」とおっしゃいました。今回の母も「あら、きたのね」とおっしゃいました。迎えていただいているようで私はとても嬉しく思うとともに私はここにいてもいいのだと感じることができてとても安心します。
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夢(昼うとうとしているとき)
ここは二階だった。窓が開いていた。カーテンを引いた窓の外で不穏な獣が唸る声が聞こえる。私は追い返した。

窓から下を見ると時々お見かけする近所のおばあ様にお迎えの車が来ていた。
早朝なのにおかしいな。。。。そっかお迎えなのか。。
おばあ様は庭の花の手入れのことが気がかりだったようで、車に乗る前にご親族に伝えていた。

カーテンで姿は見えないけれど先程よりも大きな唸り声を上げてその獣が脚を差し込んできた。
「(まだ帰っていなかったんだ。)」
カーテン越しに脚を掴んで遠くに投げた。
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掴んで投げるなどではなくて敬愛する「さんまいのおふだ」の和尚様のように豆にして食べるというような気の利いたことをできるようになりたいと思いました。しかし和尚様の豆にして食べるというのは、節分に豆撒きや豆を食べるのと同じで、魔を滅することを象徴しているのかもしれません。ですからじっさいは投げ飛ばすというのでもいいのかもしれません。でも豆にできるのであれば私も豆にしたいです。クールだと思うからです。
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20230605

Rのマスターがいらっしゃいました。
今日はたまたま偶然お会いしたという夢の印象。マスターは「次の集まりでお会いできるのを楽しみにしています。」と仰ってくださいました。(まもなくRの集まりがあるという夢の中の前提がありました。)
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先日の夢では私は一人で散策をして、Rの方々から連絡の届かない世界に行っていました。ですので、今日の夢でこのようにお話することができて私はとても嬉しく安心しました。Rは私がこの地球に関わりを持つことができるための定点、経路、接点のように思うからです。
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20230606
20230607
夢は記憶できませんでした
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貝殻の腕輪について

【貝殻】
(象徴・豊穣)貝殻はそれが作られる場である水を想起させ、本来水が持つ豊穣という象徴的意味を帯びる。輪郭と内部の奥深さが女性器を思わせる。たまに含まれている真珠がおそらく貝殻から出てくるというアフロディテの伝説を生んだのだろう。このシンボルがエロティックという相と豊穣をもたらすという相と2つの相を持つのはこのような理由からである。(略)

(中米・神話)この延長線上でシンボルをとらえ、アステカの人は月の神をテクシステカトル、<貝殻の神>と名付けた。そして<誕生><生殖>を意味するその神の図像表現とは子宮の図にほかならない。

(死との関連)
しかし月は地の本質のものとつながっている。すなわち地球の内部しばしば月と大地の老神の姿で現れる冥界の力に結ばれているのである。マヤ人の場合がその例で、貝殻は<地下世界>と死者の王国を象徴する。太陽の象形文字に貝殻を付け加えた形は<黒い太陽>、すなわち下方の世界を訪れるときの夜間の任務についている太陽を意味する。アンチル諸島では墓場の墓の上に貝殻を置き、その中で祭りのろうそくを灯す。
貝殻はこのように死の観念と結びついているものであるが、貝殻の象徴する個人の、あるいはある世代の繁栄は貝殻の元の持ち主の死、前の世代の死から生じるものである、という意味での結びつきの場合もある。
馴鹿時代(旧石器時代)、海の貝殻は死者の装飾品であったが、それは「死者を宇宙の原理である月、水、女性と連帯させ、死者を再生し、宇宙運動に加わらせるためのもので、月の諸相に似た、誕生、死、再生を前提とするものである。

空中を走る列車の駅の構内のソファにいた片道切符を持った私、貝殻の腕輪をしていた私、肉体の名前の私はジョバンニでありカンパネルラなのでしょうか。

オセアニア文化人類学
西太平洋の島々で、B・マリノフスキーは奇妙な貝殻の取引【クラ】を発見した。貝殻は腕甲【ムワリ】の形に加工されるか、つなげて首飾り【スラヴァ】にされている。この取引は他の交換とは別にされ、営利的商取引よりは慣習的儀式に似ている。【クラ】は円を意味し、「同じ言葉が死者の魂の旅を表すために使われる。魂は伝承によれば、ボユナの北西のツマ島に行く。ツマ島は【ムワリ】の祖国である。【ムワリ】、大きな円錐形の貝殻の上部から切り取って作る大きな腕甲」は雄とみなされる。それらは、西の方向への旅し、「最後は死である<人間の冒険>を象徴する。【スラヴァ】、赤い貝殻の長い首飾り(女性とみなされる)は西から東へ行く。それらは肉体の不純、経血、肉化、物質への魂の降下、死者たちから来る生殖力を表す。これらの海の護符が財の交換、縁組、あらゆる形の人間の結びつきのきっかけを作るのである。」

(夢)
以上の全てから、夢の中では貝殻がリビドーの表現であることはあきらかである。貝殻が示す膣は洞穴、宝物庫の入り口である。なぜなら、貝殻はすべてひとつの真珠を含む可能性を持つからである。したがって、貝殻を夢見ることはなんらかの肯定的価値を必ず持つ旅への誘いである。/世界シンボル大辞典,大修館書店

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最後までお読みくださりどうもありがとうございます。