♡航星日誌♡

・・・to boldly go where no one has gone before.

20230312-20230326/ 壺の象徴性/私は広がる筒/フォーカス10とは/111・祈り・水銀・賢者の石

お読みいただきどうもありがとうございます。

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20230314
前回の投稿、壺の象徴性についての雑感

壺の象徴性
つきることのない豊穣、宝、結びつける、母胎、子宮、物質的精神的源泉、女性、天地創造、神の住まい、秘められた力など

壺の象徴性を否定したところに道(悟りへの道)が開かれた仏教の在り方が仏教における壺の象徴性(聾と愚かさ、カルマ)に現れているのではないかと感じ興味深く思います。仏教の道において性の力を使った秘技もあると思うのですがそれらも一旦壺を排除した上に成り立っているのではないでしょうか。
このことにより生み出された歪みは、男性に対しても女性に対しも歪んだ女性性像、歪んだ豊穣のイメージをもたらし歪んだ社会を生み出す。これらは私たちの世界に今なお根を張り痛みをもたらしているのではないでしょうか。本来壺は愚かでもカルマを構成するものでもなくその対極にあるものだからです。
私のこの壺の象徴性に関する感想は仏教の信仰や思想や道を批判しているものではありません。
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20230315
20230311の鏡の向こうの存在についてのメモ
以前16塔の破壊の夢見のあと正面の階段から降りてきた祝賀パーティーの正装の出席者の方々もものすごく愉快で楽しそうだった。お酒が入っているようなノリと笑顔と華やかさ、きらびやかさ。なにもかも素朴な私は場違いのように感じて帰ろうと思ったところこれから二次会が地下であるからというお知らせがあり私は行かなければと強く思いました。
同じように今回鏡の向こうからこちら側にやってきた存在たちもとても愉快で楽しそうだった。

”向こうの世界は相手を思えば会える、いる。思わなかったら存在しないのと同じなので、いない、存在が消える。”のようなニュアンスの説明があった後、

主たる方「えーー消えるってそんなのひどくない?!笑! えーー消えるの?笑 ひどいひどい! 笑。そりゃひどい! 笑 消えるんだってよ〜〜〜〜(ゲラゲラゲラ笑」のようで。

とちょっとふざけて愉快で楽しそうな様子で彼らはこちら側にやってくる。ひとりは帽子をかぶって釣り竿を持ってるようでバカンスで遊びに来る感じのよう。
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20230316
ヨガ
捻った日時計のポーズ(バリヴリッタスーリヤヤントラーサナ)が初トライでできてとても嬉しかった。
これまでの日々の繰り返しが体に浸透していたのかもしれないと実感できた瞬間でとても嬉しかった。
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20230317
ヨガ
ハタヨガの真髄という本のアイアンガーさんのアサナの写真がとても静寂で美しくて整った空気感に感動してそれ以来、通っている近所のヨガのスタジオはアイアンガーさんの教室でアイアンガーさんのお弟子さんが教えてくださっているんだと思いこみながらレッスンを受けていたのですが、前回夢でヨガのような舞踏のような舞踊のような方法で気かオーラをコントロールする方法を教えてくださった、体を自在に操る夢の存在がキラキラしている黄金の透明の肉体のようでとても美しく、「私もこのように均整の取れた美しい非物質体になりたい。」と夢の中で思っていましたので、今日からこの夢の先生に教わっていると思いながら、この先生の姿を思いながらヨガのレッスンを受けることにしてみました。
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20230318
薔薇のエグレゴアへ
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20230319
大祓詞阿弥陀如来根本陀羅尼と恵比寿真言を聞き続けていたら5歳の子が「おかあさんはきれいなおんがくをきくのがすきなんだね」と言いました。5歳の子がそういう言うのならきっときれいなのかもしれません。恵比寿様は七柱の中で唯一日本古来の神であり、外来の神であるのだそう。
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20230320
今後歩んでいく中で神道の信念体系と仏教の信念体系を絶対に混合してほしくない、してはいけない、分離してほしいという強い依頼の夢、壺の米に気安く手を差し込んでご飯を混ぜ込む存在に怒り狂っていた夢20230310についてのメモ

尋常なく怒っていた夢の私を見つめている視点の夢の私もいた。見ている私にも怒っている私の感情がそのまま伝わってくる。見守っている、静かに見つめている。こちらの視点はいつもの私の感覚。
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20230321

声「明け渡す」筒のビジョン。
声「居場所をひろげる」
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明け渡すとは筒になるというようなことなのかもしれません。
居場所というのは物質世界で居場所を作るというのではなくて非物質世界において今後広がって行くということかもしれません。
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20230322

1110
111
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今パソコンを眺めたら3月22日11:10だったのですが、これを見て今日の夢を思い出しました。数字だけの夢を見るのはかなり珍しいです。二回目くらいか初めてくらいかもしれません。
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横になっていたら、私のことを愛しく思って下さっているような素敵な笑顔の存在が現れ私に触れる。取り仕切っているような別の存在も現れる。気配を感じる。私は目を閉じていたので声だけ聞こえている。名前を呼ぶ。他にも存在が現れる気配を背後に感じる。次の機会になにかの話をするよう。ひとりのはずのこの部屋に複数名いることがとても不思議だった。
目を開けると存在はいなかった。意味がわからなくて混乱して状況に慣れるのにしばらくかかった。さっきまでの出来事は事実だと思っていたから。事実だったから。触れた感覚も。

眠っていたのかもしれません。ぼんやり考えていたのはフォーカス10までは降りてこられるってどういうことやろか。
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20230323
「祓い給い清め給え神ながらーーー」を唱えて全てに感謝して心から皆様の幸せを祈りました。一筋の涙が流れました。静かに目を閉じていました。


水銀入の豆腐を食べる。 


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水銀とは金属の母であり女性原理、受動的原理であり、熱を受け入れる冷であり可溶性を示すものなのだそう。水銀と、金に含まれる硫黄があると賢者の石の生成が始められるのだそう。先日の排泄物の夢によると私は金は持っているのかもしれません。賢者の石と阿弥陀如来のアミリタ、甘露を見極めて行きたい。これは20230322の1110,111の意図を含んだ夢見なのかもしれません。
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20230324
第一質料について以前なにか記事を書いたかもしれないと思い記事検索をしましたら、そのときの錬金術の夢見の間の夢が「もう行かなければ。1:11」というものでしたので私はぎょぎょぎょとなりました。昨日の夢見の解釈はあれで良かったのかもしれません。このときの夢は当時消化しきれませんでした。今また丁寧に瞑想したいと思います。
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20211123の森の中の動物の夢について
目の前の足元。小さな黒い動物。毛がふさふさ。ゴリラにもにている。小さい。一旦後退して戻る。大きくなっていた。2メートルくらいありそうなとても太くてふわふわの尾が豊かで神々しくとても美しい。正面。ゆったりと波打つ。一角獣は後ろから来て私の右側を走ってくる。交尾する。小さな象のような生き物は一角獣がきたので金切り声をあげて怒っているのかと思ったら違った。下の小さな象のような生き物は上の小さな象のような生き物が落とした木の枝が耳に当たって痛そう。上の象のような生き物は木の枝が密集する中に暮らしているから。

私は6歳の心臓の少女というのや下の部分が子どものそれのようだったというのやユニコーンが夢にたびたび出てくるというのは私は処女なのかもしれない。とても大事にしている繊細で人に打ち明けられない心の話で恒星の話でもあるのかもしれない。
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貴婦人と一角獣:我が唯一つの望みに (À mon seul désir)/wiki

一角獣

貴婦人と一角獣「我が唯一つの望みに」
我々の実在が「神の戯れ」である程度に応じて我々の役割は自由で能動的となるが、そのとき我々は我々を創造し、我々を導く人形使いと同一化する。すると自我は解消して、北極星と関係づけられる宇宙のテントの下で、おおいなる自我に取って代わられる。貴婦人はその純潔によってと同様に、その優美と知恵(つまりテントの下にあるもの)によっても、おおいなる作業に敵対する動物たち、すなわち硫黄を象徴するライオンと水銀を象徴する一角獣を鎮める。しばしば貴婦人は錬金術の塩と同一視される。彼女はその名が「自我を持たぬもの」を意味するへーヴァジラの陪神に非常に近い。一角獣のまっすぐに立った角は、精神的受胎を象徴し、宇宙のエネルギーの流れを取り込んで、テントの持つじくとしての象徴的意味と一致するにいたる。そしてこの象徴的意味は一本の先端によって、羽飾りをつけた貴婦人と侍女の帽子の2本の槍の象徴的意味へと連なり、また東洋と西洋の神秘的結婚を寿ぐ木々(カシワとヒイラギはオレンジの木とパンの木に対応する)の象徴的意味にも連なっていく。(略)貴婦人の前に座った小ザルはなにかといえばこれは錬金術師そのものを意味し、「自然のサル」がその女主人を見守っている姿を表し、女主人は「マテリアプリマ(第一質料)」と同一視することができる。”世界シンボル大事典,大修館書店

以前空を舞う雲でできたユニコーンや龍などの聖獣四頭の夢を見た時に、最後に空に入りきれないほど大きく現れたのが錬金術の塩の記号だったというのでとても気にしています。

”バシリウスの『フィシオロゴス』にはゾウとユニコーンの友情の話も載っている。「ゾウには関節がないので、木に寄り掛かって眠る習性を持つ。そこで狩人達がその木に切り込みを入れておくと、ゾウは大きなうなり声をあげながら木とともにひっくり返る(カエサルの著作『ガリア戦記』第6巻第27節では関節のないヘラジカが同じように狩られる)。隠れていた場所から狩人達が急ぎやって来て、無防備に横たわるゾウの顎から象牙を引っこ抜き、急いで逃げてしまう。それは狩人達がユニコーンに急襲され、その餌食とならないようにするためである。しかしユニコーンの到着が間に合えば、ユニコーンは倒れたゾウの傍らにひざまずき、その体の下に角を差し入れ、ゾウを立たせるのである」”/wiki
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20230326
「私は筒」「6歳の女の子」というので以前読んだ絵本のことが想起されました。良い絵本は大人向けに解説された文章よりも本質のみを純粋に美しく捉えている場合がたくさんあると私自身は思っておりまして、去年天女の儀式の夢などがあり私は天女に関する絵本を国内のもの、海外のものさまざま探していくつも読んでみたのですがその中のひとつ「黄金りゅうと天女」というのがそのような話だったように思います。もう少し深く探求してみたい。私の断片がみつかるかもしれません。

「6歳の女の子」というので想起される以前の夢見がありました。擬態を怖がるフラワーオブライフの夢見でした。昨日のものと合わせて瞑想したい。

20210208
②分岐路で車を一旦停車して下車。白い普通車。道端に小さな女の子。5歳くらい。まるで木の枝のようなナナフシのような虫が体全体で赤い花の蕾を掴んでいる。女の子はその虫を怖がっている。

私「ほら擬態なのよ。変態するのよ。何も怖くない。」

虫は変形しながら宙高くに浮かんできて立っている私の目の前にきたころには小さな六角形が集まって大きな六角形を形作っている。フラワーオブライフフラワーオブライフの円の外側にもナナフシのラインが光のラインのようにたくさん飛び出ている。
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赤い花の蕾は薔薇十字の薔薇だろうか。肉体と精神性の十字の中央にある薔薇。花開く意識、魂の象徴。

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最後までお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。