♡航星日誌♡

・・・to boldly go where no one has gone before.

真実とは?

今日も夢を見ませんでした。




もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。  はい♡愛しの昔の恋人


【懊悩おうのう】
なやみもだえること。煩悶 (はんもん) 。「行き詰まって懊悩する日々」
「腕を拱 (く) み顋 (あご) を襟に埋めて―たる物思いに沈んだ」〈二葉亭・浮雲




そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業にしようと考えたのです。  笑。愛しの昔の恋人




個性化過程を推進する力は本能である。本能は個人の生に含まれているもの全てが参画してくるように計らい、主体がそれを肯定しようがしまいが、意識しようがしまいが、何が起ころうが起こるまいが構わないのだ。ただし主観的には、この過程を意識しているか否かでは大変な違いがある。ユング  




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ローブ姿の案内役

”私の物語が事実かどうかは問題ではなく私にとって真実であるかどうかが重要。”



私にとっての真実とは?



「事実」実際に起こった、もしくは現実に存在する事柄
「真実」事実に対する嘘偽りのない解釈




私の物語の解釈の主導権を誰にも明け渡すな自分に誠実であれ、それが私にとって重要。なんだそうです。





ーー以下転載ーー


5.real な事実と、ideal な真実
事実と真実は、レアール(実在的)とイデアール(観念的)なものと価値づけてみることもできる。事実は、認識する人の意識から独立した、意識には単なる所与のもので、客観的な実在的な世界を中心にしたところに生起しているものである。ひと(認識主観)の観念から独立したレアールなもの、あるいは、そうみなされ、そう取り扱われているものである。自身の主観の思いの事実にしても、その主観的な内容を振り返って捉える認識主観は、想像等の工作を加えず、対象化されたその過去の主観の意識内容をできるだけ突放して、事実としてあったがままに再現していくものであろう。
これに対して、真実は、まずは、そのレアールな直接的な所与としての事実から離れて、認識主観において、事実表象をふまえて、これから抽出され想像された観念的(イデアール)なものとして登場する。このイデアールなものは、それのみでは単に主観的なものに想像物にとどまるから、それが実在する諸事実にとっての真実である事を証明するには、事実世界において、そのイデアールなものもまたひとつの事実(レアールなもの)である事を示していかねばならない。かりにそのイデアールな真実がレアールなところから実証されることがないならば、それは、単なる虚構・うそになっていく。うそも、真実も、イデアールな点では同一である。
真実は、イデアールであるとともに、事実を支え根拠づけることのできるものとしては、同時にレアールなものでなくてはならない。レアールな事実世界において、その根底で働く、隠れたものとなっているのである。そういうレアールなものの根底で支えるイデアール(ideal)な本質的なものをヘーゲルは、イデール(ideell)と表現しているが、イデアールな真実は、イデールなものとなって真に真実となるのである。あるいは、諸事実を導き引き付けていく目的・理想として真実がいわれるような場合には、イデアール(ideal 観念的)な真実は、まさしくイデアール(Ideal 理想)として働いているといってよいのであろう。
レアールな事実に対して、イデアールな真実は、表面的な実在的世界から離れているものとしては、単なる観念的なもので頼りないものと見られなくもない。しかし、うそとちがって、真実は、同時に、レアールな世界をささえ、導くものとして、レアールな力をもっており、レアールな事実の根底にひかえている一層深くレアールなものであり、あるいは、逆に天空高くそびえリードし引き付けてやまない理想の存在となっているのである。
「大切なのは、事実だ」というとき人が注目するものは、レアールなものであろう。大切なのは、理想や空想ではなく、この現実世界であり、気持ちや心構えでもなく、冷厳な客観世界そのものだというようなことになろう。これに対して、「大切なのは、真実だ」というときには、うそや虚飾を断固として拒否しなくてはということとともに、目先の些細な事実にとらわれて肝心のことを忘れてはいけないとか、事実をふまえながらもこれに拘泥せず、隠された本質的なものを洞察してイデアールなところへと飛翔しなくてはならないということになるのである。事実にとらわれ、レアールなものの表面を這い回るような実証主義に対して、この世界を離れてイデアールな真実の世界へと飛躍できるのでなくてはとIdealismus(観念論)はいうのである。

事実・真理・真実(論文集)近藤良樹



ーー転載終わりーー