♡航星日誌♡

・・・to boldly go where no one has gone before.

あほなのかと殴られる

20200222

目を閉じた瞬間に新規の謎の非物質に頭を強く殴られ亡くなった祖母のところに連れて行かれる




昨日のビジョンとアメジスト(全部終ってわかった私の美しい感覚を詰め込んだペグ)について瞑想


頭が爆発しそうなほど苦しんで耐えているような、そんな人間的感情を感じることがわたしに必要で、私の高次存在が最終的に私にして欲しかったことなのかな。それならばそのような感情を感じられることに感謝して、どこまでも感じたらいいのではないかな。それを言いたいがためのビジョンだったのかな。
思春期以降私は感情というものがわからなくて、いつも冷静で、男の人に押し倒されて首に包丁をあてられ食い込んでいる状態でも冷静で、外国での出産でお腹の赤ちゃんが心肺停止で周りの看護師と医者たちの間でわけのわからない叫び声のような怒号が飛び交っている場面でも私は冷静で。
でも、先日10年間かかった自己探索が終って、全部終ったんだって泣き崩れたあたりから、何かの力で閉じていた私の心が開き始めていて、歌を聴いて泣いたり、音楽をきいてなんて美しいんだろうって感動したり、これまで知らなかった感覚で人を愛しく思ったり、大切に思ったり、私が持っている優しさを全部あげたいと思ったり。それらの美しい感情と同じようにきつく苦しさを耐えるような感情も感じることが私には必要なのかな。そのためのビジョンだったのかな。そうであるなら爆発しそうで耐えられないくらいどこまでも苦しんで自滅すればいいのでは。


そんなことを中空に放って、昨日のビジョンの苦しく耐えている感覚に自分を暴露させながら目を閉じた瞬間、背後にテレポートしてきた真打ち的歯抜けのじいさん(ジャッキーチェンかブルースリーの師匠らしい)から「おまえはあほなのか(笑)!!!」と、ものすごい勢いで頭をスコーーーンと殴られました。「わしは後ろだ!前にいる奴はとりあえずの奴だ(笑)!後ろだ!」と。


え。。


そのあと赤ちゃんが白い床の上をずっと目を閉じた私を引っ張って、亡くなった祖母のところに連れて行きました。
「きたのね。」って女神的な雰囲気で白くてふんわりした存在を感じました。まだ認知症になる前の。祖母は私の三味線の師匠で世界で唯一大好きだった大人。




ーー


ずっとなくなっていたネックレスがみつかった。高価なものでもないのですがとても大切にしていたの。夢見の会というのに参加してそれがとてもうれしくて自分で記念に買ってずっとつけていたの。だからうれしい。


——


耐えられず自滅するほど苦しい感情を知る。という私の見立ては間違っているらしい。殴るとはひどすぎるが、私の見立ては殴らないといけないほどひどいらしい。そうなの? なぜなの