♡航星日誌♡

・・・to boldly go where no one has gone before.

20200923/トイレ/マラソン大会/神社当然/帽子

20200923

子を寝かしつけていたら寝てしまっていました


①正装用の黒いロングスカートでトイレ。個室だけど後ろに誰かいる。正装って昨日の夢見の続きなのかな。


今日読んでいた本では母性は黒と赤とユングは言っていました。親族の葬儀で黒いスカートに赤いカットソー、薔薇十字定期便の葬儀では赤いコートを脱いで黒になるとか。赤い下着一枚で磐座を飛び回るとか。なにか関係しているのかな? いつかわかるといいな。


②マラソン大会のようなもので優勝した。高校の制服で全力疾走。皮がむかれて輪切りにされたさつまいもみたいなのを途中で渡されて食べていました。食べたほうが早く走れるのかなと思って食べました。さらに外周を剥いて、あとでそれを食べると甘みも栄養も増すそうです。


本気の全力疾走の感覚



③男性の声「(いいと思うのは)まあそれはそうだよね。」当然だよね的な。


昨日偶然前を通りかかって一瞬見えた景色に圧倒されたから、お願いして帰り道のときに無理を言ってちょっと降ろしてもらって参拝した神社のことです。神殿の前で、わたしの居場所はここだと魂が震えた。やっと私のほんとの居場所を見つけた、やっと私の家をみつけて帰れた気がして泣きそうになった。長居したかったな。またいけるといいな。。


④目の前のひな壇の女性。写真を撮るから失礼のないように帽子をとるのだけど、取っても次々と帽子が下からでてくる。彼女は楽しそうに笑顔で帽子を取り続ける。道化師みたい。もうずっとずーーっと。いろんな種類の帽子。一番最後はお人形用の小さい帽子が隠されていた。彼女は最後の帽子も笑顔でとりました。最初はふざけてるのかとおもったけど、途中からはここまでやるのかというくらい立派な仕込みだと感心しながらこちらも笑いながら見入ってしまいました。



私は権力や優越性のしるしとしての帽子を被る気がまるでなくて。帽子を脱ぎ続けるというのは世の中のあらゆるものに対して謙虚さと敬意を持ちたいという私の思いを表しているのかな。またあるいは帽子は同一化のシンボルでもあるけれど、やまほどたくさんの種類の帽子を脱ぎ捨てるというのはあらゆる思想にも染まらず同一化もしないことを象徴しているのかな。最後に見えたお人形の帽子は泥人形的人間でもないよということを表しているのかな、あるいは自己を投影し同一化した人形としての自分ともさよならだよ。という暗示なのかな。

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父が肺炎で入院したそうです。

病院でタバコを吸うのかな吸わないのかな。

吸うんだろうな。

父が死んだらわたしはどんな気分になるんだろうかと何度も想像したことがありますがでも結局いつもわからない。

小学生の頃、たぶん父の誕生日や父の日に手紙を書いていたのですが、長生きできるようにもうタバコはやめてね。とよく書いていたのですが、いつも同じことしか書かないね。と言われたな。子どものわたしは本当に純粋にそう願っていたんだけどな。


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